2023年8月22日に行われた
世界陸上で泉谷駿介選手が
110mHで5位入賞を果たしました。
日本勢初のファイナリストということで
本当に素晴らしい結果です。
そこで今回は
泉谷駿介選手の身長や出身年齢などのWikiプロフィール、
さらには学歴や経歴についても調べてみたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
【2023】泉谷駿介のWikiプロフィール(身長・出身・年齢など)
引用元:news.yahoo.co.jp
生年月日:2000年1月26日
年齢:23歳
出身:神奈川県
身長:175センチ
体重:69キロ
血液型:不明
所属チーム:住友電工
種目:110メートルハードル・跳躍種目
泉谷駿介の年齢
泉谷駿介選手(世界陸上)の年齢は23歳です。
生年月日は、2000年1月26日で24歳の代。
同い年くらいのスポーツ選手は
同じく陸上選手であるサニブラウン選手が
現在24歳で年が近いようですね。
あとは野球の清宮幸太郎選手も
同い年だそうです。
実力・貫禄がある選手たちばかりですね。
泉谷駿介の出身
泉谷駿介選手(世界陸上)の出身は神奈川県です。
出身中学や高校・大学については
後ほど学歴(経歴)として紹介しますね。
泉谷駿介の身長
泉谷駿介選手(世界陸上)の身長は175センチです。
陸上選手って画面越しで見ると
身長がわかりにくいですよね。
なんとなくですが
泉谷駿介選手(世界陸上)の身長は
もう少し低いかなと思っていましたが
175センチあるんですね。
日本人23歳男性の平均身長は171.6センチですので
平均身長より約4センチほど高いことになります。
陸上選手で調べてみたところ
短距離の桐生祥秀選手が身長175センチでした。
日本人は175センチ前後に
有名陸上選手が多いのかもしれませんね。
【学歴&経歴】泉谷駿介の出身中学・高校・大学一覧
泉谷駿介選手(世界陸上)の
出身中学・高校・大学などの学歴や
スポーツに関する経歴を紹介しますね。
先に学歴をサクッと説明しておくとこんな感じです。
・横浜市立緑が丘中学校
・武相高等学校
・順天堂大学
1つずつ順番に見ていきましょう。
泉谷駿介の出身中学
泉谷駿介選手(世界陸上)の
出身中学は、横浜市立緑が丘中学校です。
校則を廃止し「〜はダメ」ではなく「〜しよう」と
自主性を重んじる『緑が丘6ヵ条』という方針があるそうです。
自分たちでよりよい方向になるように考えることは
社会を生きていく上で必要な力を育んでくれるでしょうし
とても素敵な方針ですね。
部活動にも力を入れており盛んなようですので
未来のスポーツ選手が
これからもどんどん出てくるでしょう。
ちなみに、横浜市立緑が丘中学校の卒業生には
泉谷駿介さんの他にも米井翔也選手(陸上)や
福田秀平さん(野球)がおられます。
泉谷駿介の出身高校&偏差値
泉谷駿介選手(世界陸上)の
出身高校は、武相高等学校です。
武相高等学校は私立の中高一貫校です。
高等学校には、スポーツコース・総合コース・
進学コースがあり、文武両道の学校です。
偏差値も調べてみました。
・普通科進学コース 45
・普通科総合コース 40
・普通科スポーツコース 40
泉谷駿介選手がどのコースに通っていたのかは
わかりませんが、本格的に陸上を始めていることから
スポーツコースだった可能性が高いですね。
ホームページを見てみると
中学・高校のどちらもがスポーツが盛んで
様々な競技で強豪校のようです。
泉谷駿介の出身大学&偏差値
泉谷駿介選手(世界陸上)の
出身大学は、順天堂大学です。
言わずと知れた名門校ですね。
順天堂大学では、
スポーツ健康科学部(偏差値56〜58)に在籍していました。
陸上のみなららず数々の運動部が競合ですね。
在学生・卒業生・教員には
オリンピックやパラリンピックに出場しているアスリートもおり
東京オリンピック・パラリンピックまでの
メダル獲得数はなんと21個だそうです。
卒業生の中には、2023年3月に癌のため亡くなった
誰もが知っているでろうバレーボール選手、
藤井直伸さんもおられます。
【経歴】泉谷駿介のスポーツ歴
緑が丘中学校時代
泉谷駿介選手は
小学生の頃はサッカーを続けていましたが
中学生から陸上競技に転向したそうです。
しかし短距離では市総体にも
出場できない成績だったようで
中学3年生から四種競技に挑戦。
ただ、それでも中学時代は
県大会には出られない成績だったそうです。
※四種競技とは
400m・110mH・走り高跳び・砲丸投の
4種目の合計得点を競う競技
武相高等学校時代
引用元:https://www.koukouseishinbun.jp/
・高1→走り高跳びで自己ベスト
・高2→八種競技と三段跳びに挑戦しインターハイ出場
・高3→インターハイで八種競技優勝、三段跳び3位
・高3→国体で三段跳び4位、110mHで3位入賞
高校1年生の時に、中学時代に得意だった
走り高跳びで1m94の自己ベストを記録。
その時に練習メニューの1つとして行っていた
三段跳びで潜在能力があることが発覚。
高校1年生の冬には砲丸投げやハードル走の記録が
伸びたことから八種競技に挑戦します。
高校2年生から八種競技と三段跳びに本格挑戦し
わずか数ヶ月で八種競技で夏のインターハイ(全国大会)に出場しました。
結果は残念ながら14位で表彰台ならず、
この経験がきっかけでより厳しい練習に
取り組むようになったそうです。
高校3年生でもインターハイに出場し
八種競技で当時高校歴代6位の得点で優勝、
三段跳びでも3位入賞と素晴らしい成績を残しています。
経験者でないのでわかりませんが
四種競技や八種競技はある程度どの種目も
バランスよくできる必要があるでしょうし
努力もそうですがセンスもあったんでしょうね。
それにしても本格的に始めて数ヶ月で
インターハイ出場とは驚きです。
中学生から高校生になり
筋肉がつき体が変わったことで
もともと持っていた素質が開花した高校生時代でした。
順天堂大学時代
大学入学にあたっては
どの競技を選ぶか迷った結果
三段跳びをメインに走り高跳と110mHを選択したそうです。
考えた末に、高校タイトルを手にした種目よりも、自分の特徴を生かせる、何よりも好きな種目を選ぶことに決めた。
「身体(当時は身長174cm、体重65kg)が大きくなかったですし、十種競技をやるには棒高跳に恐怖心がありました。だから混成競技は高校までにして、大学では三段跳をメインに、走幅跳と110mハードルも同じくらいやりたいなと思っていたんです」
順大に進学した泉谷は、跳躍ブロックに所属した。
引用元:https://www.rikujyokyogi.co.jp/
この選択が日本人初となる
世界陸上110mHで5位入賞という
成績を残すきっかけになったんでしょうね。